大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

大阪高等裁判所 平成8年(行ケ)1号 判決 1996年9月27日

原告

大阪高等検察庁検察官検事

秋本譲二

被告

旅田卓宗

右訴訟代理人弁護士

福田泰明

山本光彌

主文

一  被告は、本判決が確定したときから五年間、和歌山県において行われる同県知事選挙において、候補者となり、又は候補者であることができない。

二  訴訟費用は被告の負担とする。

事実及び理由

第一  当事者の求める裁判

一  原告

主文と同旨

二  被告

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は、原告の負担とする。

第二  事案の概要

一  事案の要旨

被告は、平成七年一一月五日に施行された和歌山県知事選挙に立候補し落選したものである。

検察官である原告は、被告の選挙運動において、公職選挙法(ただし、平成六年法律第一〇五号による改正後のもの。以下「法」という。)二五一条の三第一項にいう組織的選挙運動管理者等が法二二一条一項一号の罪を犯し、禁錮以上の刑に処せられたとして、法二五一条の三第一項により、被告が原告勝訴の判決の確定したときから五年間、和歌山県において行われる同県知事選挙において候補者となり、又は候補者であることができない場合に該当するとして、被告に対し、同法二一一条一項に基づき、立候補禁止を請求したものである。

これに対し、被告は、組織による選挙運動が行われたことはなく、被告と選挙運動組織との間に意思の連絡もなく、法に違反して有罪とされたものが組織的選挙運動管理者等に該当しない、と主張して争っている。

二  争いのない事実

1  被告は、平成七年一一月五日に施行された和歌山県知事選挙に立候補し、落選した。

2  藤本弘は平成七年春頃までタビタ卓宗後援会(以下「後援会」という。)の幹事長代行、同年春頃から会長、竹内忠男は昭和六二年頃から後援会の幹事長、橋本博は平成六年六月から後援会の会計責任者兼組織対策部長、中村智司は平成元年六月から後援会の事務局長にそれぞれ就任した(以上四名につき、以下「藤本」「竹内」「橋本」「中村」という。)。

3  後援会は、以前から、主として和歌山市内において、各地区の担当者である運動員(以下「地区担」という。)が後援会会員宅を訪問して、後援会入会申込書や近況報告と題する書面等を配布するなどして地区担活動を行ってきた。

平成六年八月から平成七年三月頃までに、和歌山市内及び同市周辺地区のほかに、有田ブロックでは有田のほか二か所、紀北ブロックでは橋本ほか三か所、御坊・日高ブロックでは御坊ほか一か所、紀南ブロックでは田辺ほか一か所、新宮・那智勝浦ブロックでは新宮ほか一か所というように、地区担活動の拠点である後援会事務所が設置された。

4  竹内、橋本は、前記和歌山県知事選挙に際し、立候補する決意を有していた被告の選挙運動者であるが、共謀の上、被告に当選を得させる目的で

(一) 別紙一覧表記載のとおり、未だ被告の立候補の届出のない平成六年九月下旬頃から平成七年九月下旬頃までの間、前後七八回にわたり和歌山市中島一四八八番タビタ卓宗後援会事務所等において、同選挙の選挙人で、かつ被告の選挙運動者である伊藤隆章ほか六名に対し、それぞれ犯意を継続して、被告のため投票とりまとめ等の選挙運動をすること並びに同様の選挙運動をしたことの報酬として、直接あるいは他の後援会職員を介するなどして、現金合計一一三九万円を供与し

(二) いまだ被告の立候補の届出のない平成七年七月頃、和歌山県田辺市新庄町四九二番一タビタ卓宗連合後援会田辺事務所において、同選挙の選挙人で、かつ被告の選挙運動者である白井慶に対し、前記(一)記載と同様の趣旨の報酬として、副島勲を介して現金三万円を供与し

いまだ被告の立候補の届出のない同月一七日頃、前記白井に対し、右犯意を継続して、前記(一)と同様の趣旨の報酬として、同市栄町二四番地株式会社紀陽銀行田辺支店の同人名義の普通預金口座に一六万九三八二円を振り込んで供与し

一面それぞれ立候補届出前の選挙運動をし、もって、法二二一条一項一号の罪を犯したとして、平成八年四月二五日に和歌山地方裁判所において、いずれも禁錮以上の刑に該当する「懲役二年六月執行猶予五年」にそれぞれ処せられ、いずれも同年五月一〇日に確定した。

三  主たる争点

1  後援会は、組織による選挙運動を行ったか。

2  被告と後援会との間で、組織による選挙運動を行うことについて意思を通じていたか。

3  竹内、橋本は、「組織的選挙運動管理者等」か。

4  法二五一条の三の規定は、憲法一五条、三一条に違反して無効か。

同規定を本件に適用するのは憲法一五条、三一条に違反するか。

四  主たる争点に関する当事者の主張

1  争点1(後援会は、組織による選挙運動を行ったか。)について

(原告)

(一) 後援会は、前記のとおり、以前から地区担活動を行ってきたが、和歌山県知事選挙に際して、地区担活動を県下全域の有権者にその対象を拡大して行うとの被告の指示のもとに、被告及び藤本、竹内、橋本、中村らが出席して平成六年七月ないし八月頃に開催された後援会の役員会において、県下各主要地域に地区担活動の拠点たる後援会事務所を設置し、地区担活動に従事する職員を増員するとの方針が協議決定された。その結果、前記のとおり県下の主要地域に後援会事務所が設置され、各地区担が平成六年八月から平成七年四月頃にかけて後援会臨時職員として採用された。各地区担は、後援会入会申込書や近況報告と題する書面の配付、被告が後援会会員を集めて政策等について説明する小規模集会の準備・運営・被告の著作の出版記念大会への動員や会場整理等の活動に従事していたが、その中心的な活動の実質は和歌山県知事選挙における被告への投票を依頼するための選挙運動であった。

右地区担活動が実質上は選挙運動であることは、後援会の幹部である竹内、橋本、中村ら及び地区担活動の従事者も認めているところである。多数の地区担を雇い、毎日数十名から時には二〇〇名に及ぶ有権者宅を戸別に訪問するようなことは、前記選挙がなければするはずがないことである。

(二) 被告自身も、全地区担を対象とした合同朝礼や役員会に出席し、県下各地区担の情勢を聞いたり、竹内や中村等に状況を聞いたりして状況を把握していたものであり、地区担活動が実際は選挙運動であることを十分に認識しており、地区担活動の仕方について、合同朝礼における挨拶などで地区担に対して具体的な指示をしたり、橋本や中村等の幹部に対しても具体的に指示をしていた。

(被告)

(一) 立候補禁止請求が認容されるためには、組織による選挙運動の存在が立証されなければならないが、組織による選挙運動といいうるためには、特定の候補者又は候補者となろうとする者を当選させる目的で複数の者が役割を分担して相互の力を利用しあい、協力しあって活動する実態を持った人の集合団体及びその連合体による選挙運動であることを要するものと解される。そして、被選挙権という憲法上保障された重大な権利の行使が禁止される結果を招来するのであるから、当選させる目的や選挙運動については厳格に解釈し、適用されなければならない。

(二) 当選させる目的については、組織を統括する者に具体的な選挙について、その目的がなければならないが、本件では、誰が右目的を有する後援会の統括者であるか明らかではない。

(三) 被告は、昭和四五年に初めて和歌山市議会議員の補欠選挙に立候補したものの落選し、その後の市議会議員選挙で当選し、昭和四八年に和歌山県議会議員選挙に当選し、さらに昭和六一年六月に和歌山市長に当選し、平成七年一〇月に県知事選挙に立候補のために失職するまで和歌山市長を務めた。

この間、後援会は、被告の市議会議員当時から事実上存在したが、昭和五五年四月一七日付で和歌山県選挙管理委員会に政治団体設立届もしている。後援会の目的は、被告の政治活動を支援することにあり、後援会活動と機関誌の発行が主たるものである。その活動内容は、地区担が後援会の会員宅に機関誌や近況報告と題する書類、後援会入会申込書を封筒に入れて配布していたが、具体的な選挙を意識して行ってきたものではなく、被告の政策を訴えその理解を得るためのものとして一貫して行われてきたものである。入会申込書は後援会への入会勧誘にすぎず、配布先も無差別なものではなく、後援会の会員宅になされていたものである。前記のとおり、連座制の効果が結びつく場合には、選挙運動の意義を厳格に解すべきであることからも、本件のような後援会活動を選挙運動と解する余地はない。

2  争点2(被告と後援会との間で、組織による選挙運動を行うことについて意思を通じていたか。)について

(原告)

(一) 後援会は、平成六年七月ないし八月頃、後援会の組織による選挙運動方針について協議するため、被告の出席の下に役員会を開催し、藤本、竹内、橋本、中村も出席した。役員会は、県下全域で地区担活動を中心とした選挙運動を展開する旨の被告の発言を受けて、県下の主要な市町に後援会事務所を設置し、地区担を配置し、有権者宅を戸別訪問し、集票活動を展開するとの方針を決定した。竹内、橋本、中村は、右決定に基づいて、県下各地区に後援会事務所を設置し、各地区のブロック責任者等地区担の選定、地区担活動に対する指揮・監督を行うなどして、選挙運動全般を実質的に推進した。そうだとすれば、被告と、後援会の役員会を通じて意思決定を行っていた後援会の総括者である藤本、竹内、橋本、中村との間には、遅くとも右役員会の開催された後である平成六年八月までには選挙運動を行うことについて意思の連絡があり、したがって、後援会との間に意思の連絡があったのである。

(二) 被告は、県下の事務所の設置場所や責任者について、竹内らと相談しており、各事務所の地区担の活動状況も竹内らから報告を受けて知悉しており、本部事務所で藤本、竹内、橋本、中村らが出席して随時開催される役員会にもよく出席して、特に重要事項の決定に関与し、また、研修会や朝礼にも頻繁に出席して地区担活動について指示を与えるなどしており、後援会の行った選挙運動について意思の連絡があったことは明らかである。

(被告)

(一) 本件においては、被告と誰との間に意思の連絡があるか明確ではない。すなわち、重要事項が決定されたとする後援会の役員会は、誰が召集し、誰が出席するものか不明確であり参事会(幹事会)とは別の会議かどうかも不明である。また、協議内容についての出席者の供述に食い違いがみられることからも、被告の出席の下に役員会が開催されて、被告の指示によって後援会活動を利用した選挙運動の方針が決定されたような事実はなかった。

(二) 被告は、三期目の市長選挙に当選後、公務が多忙であり、また、県知事選に立候補するとの出馬表明をしていたから、公務中に後援会活動のために時間を割くことをすれば市民の批判を受けることにもなり困難であった。被告は、当時、月一回程度朝礼に出席するのがやっとの状態であり、役員会に出席して重要な協議をするような状況になかったし、役員会の内容について報告を受けていたようなこともなかった。

(三) 被告は、後援会活動について、あくまで後援会活動であり、選挙運動であるとの認識を有していなかったから、後援会の事務に関して打ち合わせや協議をしたとしても、あくまで後援会活動についての打ち合わせや協議にすぎず、選挙運動についての意思の連絡があったことにはならないのである。

(四) 被告は、後援会の職員に対し、活動の際に酒食を提供したり供応したりさせたりしてはならない、投票依頼をしてはならない、と注意をしており、また、職員研修会の際にも「選挙違反になるようなことはせんといてくれ」と挨拶しており、このことからも被告が後援会活動が選挙運動ではないと認識していたことが明らかである。

3  争点3(竹内、橋本は、「組織的選挙運動管理者等」か。)について

(原告)

竹内は、昭和六二年から後援会の幹事長として選挙運動の計画立案、遂行等の中心的立場にあり、役員会に出席して、地区担活動を中心とする集票活動を積極的に推進することを協議決定し、これに従って、県下各事務所を設置し、各地区のブロック責任者等地区担の選定、地区担活動に対する指揮・監督を行うなど選挙運動全般を積極的に推進し、地区担の採用、選定、報酬の支払の決定、ブロック責任者の決定、票読み資料としてのカードの配付・回収を各地区担に指示したり、地区担活動に対する全般的な指揮、監督を行い、選挙運動の中心的な役割を果たしたもので、組織的選挙運動管理者等に該当する。

橋本は、平成六年六月から後援会の会計責任者兼組織対策部長として、竹内を保佐すると共に役員会に出席して地区担活動を中心とする集票活動を積極的に推進することを協議決定し、これに従って県下各後援会事務所用地を選定し、和歌山市内及び同市周辺地区の後援会のブロック責任者として傘下運動員を指揮・監督するなど被告の選挙運動全般を積極的に推進し、地区担の採用、選定、報酬の支払の決定に関与し、各地区担に対して活発な集票活動を行うように具体的な指示をしたり、カードの配付・回収を各地区担に指示するなど、選挙運動の管理を行っていた者であり、組織的選挙運動管理者等に該当する。

(被告)

竹内は、株式会社タイホーという機械器具製造販売会社の会長、経営者であり、後援会活動については無給のボランティアーであった。竹内は、幹事長ではあるが、その職務権限を明らかにした規定はなく、権限の内容は不明であり、後援会職員の面接、採用を行っているものの、竹内のみがその権限を有していたものではない。竹内は、会社経営者として多忙であり、選挙運動を計画、立案したり指揮、監督したりしたことはない。すなわち、後援会の運営は、竹内は幹事長に就任する以前から一定のルールに従って行われてきており、その活動の立案、調整、指揮、監督は、参事会(幹事会)などを通じて行われてきたものであり、竹内にはそのような権限がなかったのである。

橋本は、被告が平成二年七月に和歌山市長に当選した後も一地区担として後援者宅を訪問したりしており、被告が平成六年七月に三期目の市長選挙に当選した後も、一地区担として主として和歌山市外の後援者宅を訪問し、その後平成七年二月頃からは後援会事務所で支援者の事務所訪問を受け付け応対する仕事を担当していたものである。橋本は、ブロック責任者とされていたが、実体は連絡係にすぎないものであり、朝礼等の際に何らかの注意を与えたことがあったとしても、そのことから選挙運動管理者となるとはいえない。

藤本は、フジ電装というネオン・電飾工事会社の代表取締役として多忙であり、前任の北山の辞任に伴い、平成六年一二月頃に会長代行となり、翌年会長を引き受けたものであるが、形式的な存在にすぎず、出版記念大会等で挨拶することと参事会(幹事会)に出席することが主たる仕事であり、具体的な計画・立案、指揮監督を行っていたものではない。

中村は、事務局長であったが、その実態は一地区担として後援者宅へ機関誌を配付するなどの作業に従事していたものであって、平成七年六月以降は事務所内で来客の接待、挨拶回り、選挙の際の書類作りや整理等雑用の仕事を行っていたものにすぎないのである。

4  争点4(法二五一条の三の規定は、憲法一五条、三一条に違反して無効か、或いは同法を本件に適用するのは憲法一五条、三一条に違反するか。)について

(被告)

(一) 判例は、連座制の規定について総括主宰者の法違反の行為は候補者の当選に相当な影響を与えるものと推測され、右当選は公正な選挙の結果とはいえないから、総括主宰者の犯罪により当選が無効となる連座制は選挙制度の本旨にもかなうとしたが(最判昭和三七年三月一四日)、これは、総括主宰者が選挙に関する犯罪を犯してまで行われた選挙運動により当選したものは公正な選挙による当選とはいえないから、当該連座制は選挙制度の本旨にもかない合憲であるとしているものである。

しかし、平成六年の法改正により連座規定の中に「組織的選挙運動管理者等」が加えられた。この規定は、要件が極めて曖昧であり、本件の如く末端の後援会事務職員が偶々選挙違反を犯せば連座規定が適用され、立候補が禁止されるというのでは、候補者の被選挙権が不当に奪われることになるから、右規定は憲法一五条、三一条に違反するといわざるを得ない。

(二) 政治家の政治活動のために後援会組織が作られ、そのために事務職員を雇用して給与を支給することは当然のことである。竹内、橋本についての公職選挙法違反事件では、それにも拘わらず、竹内、橋本らの職員の採用、給与の支給が知事選挙の一年以上も前の支給まで遡って買収であると判断されたものであり、右給与については、所得税も納められ、健康保険や厚生年金にも加入して保険料も支払われており、賃金台帳も作成されていたのであり、竹内、橋本も、給与の支給を受けた職員も違法性の認識は全く有していなかったのである。このような状況で、職員が後援会活動の範囲を若干逸脱して、法違反の行為を犯した場合に支給されていた給与が選挙運動の報酬であると評価され、支給した側も有罪となり、法二五一条の三の連座規定により、立候補禁止に結びつくことになれば、候補者の責任範囲を超えたところで生じた選挙犯罪のために被告の被選挙権が奪われることとなるから、少なくとも法二五一条の三の規定が本件に適用されることは憲法一五条、三一条に違反するというべきである。

第三  証拠

当審の訴訟記録中、各証拠関係目録記載のとおりであるから、これを引用する。

第四  争点に対する判断

一  後援会の組織と活動について

前記争いのない事実及び証拠(甲三ないし七一)によれば、以下の事実を認めることができ、以下の認定に反する乙一ないし三(橋本、中村、藤本の各陳述書)、証人藤本、橋本、中村の各証言、被告本人尋問の結果は信用できない。

1  被告は、昭和四六年に和歌山市議会議員に当選して以来、和歌山市議会議員を一期、和歌山県議会議員を三期務めた後、昭和六一年に和歌山市長に当選し、同市長を二期務めたが、平成六年六月一九日に行われた同市長選挙の告示前日である同月一一日に、市長選挙への立候補表明と共に市長選挙で当選した場合にも、平成七年秋に行われる予定の和歌山県知事選挙(以下「県知事選挙」という。)に立候補する旨表明した。この市長選挙と県知事選挙への立候補表明は、新聞等により広く報道され、被告が県知事選挙に立候補する予定であることは、市長選挙の当時から和歌山県下においては周知の事実となっていた。

被告は、右県知事選挙への立候補表明により、当時の仮谷和歌山県知事の支持を失ったほか、県と関係する多数の団体や企業の推薦や支持を失うなどして、市長選挙において当選したものの苦しい選挙戦を強いられ、また、市長選挙後には、県知事選挙に仮谷知事の事実上の後継候補者の立候補が確実視されるようになり、右団体や企業の推薦や支持を得る見込のない状況であった。

2  被告は、右市長選挙後、県知事選挙で当選するためには県下全域にわたって被告への支持を広げる必要があったが、右のように多数の団体や企業の組織的な支援体制を期待できない状況であった。そこで、被告は、今後、県下各地に拠点となる連絡事務所のような後援会事務所を設置し、職員を増員して、以前から和歌山市内において行っていたように地区担が後援会会員宅を訪問して後援会入会申込書や近況報告と題する書面を配布するなどの地区担活動と称していた活動を県下全域で行うなどして、後援会会員を拡大し、被告への支持を広げていくことを主要な選挙戦術とするほかないと考え、後援会(昭和五五年四月二三日に政治団体設立届が提出されており、事業目的としては、後援会、機関誌の発行、その他の事業とされている。)の幹部であった藤本(平成六年八月頃から平成七年春頃まで会長代行、平成七年春頃からは会長)、竹内(昭和六二年頃から幹事長)、橋本(平成六年六月から会計責任者兼組織対策部長)、中村(平成元年六月から事務局長)も同様の認識であった。

後援会は、幹事長の招集により月一回くらいの間隔で不定期に会長、副会長、幹事長、会計責任者、事務局長らの幹部が出席して役員会が開催され、懸案事項を協議することしたりしていた。被告及び藤本、竹内、橋本、中村らが出席して平成六年七月ないし八月頃に和歌山市内の後援会の本部事務所(以下「本部事務所」という。)において開催された役員会において、被告が県知事選挙に向けての右選挙運動の方針を示し、協議の上決定された。

竹内、橋本、中村は、右方針に従って、事務所用地を物色し、橋本は資金を調達するなどして、平成七年三月頃までの間に和歌山市以外に一三箇所の事務所、五箇所の連絡所を設置し、竹内及び橋本、中村が面接の上、新たに順次四、五〇名の臨時職員(地区担)を採用、配置し、また、各地区のブロック責任者を選定した。

3  各地区担は、後援会入会申込書や被告の執筆した近況報告を持参して後援者宅を訪問したほか、会員宅に数名から数十名の会員等を集めて被告から政策等について説明する小規模集会、被告の著書の出版記念大会、女性を対象にして被告による講演の行われる婦人カルチャー講座の準備、運営、会場整理等の活動を行った。

右地区担活動は、原則として、タックシールに記載された後援会会員宅を訪問して行うこととされていたが、一部の地域では、ローラー作戦と称して無差別に行われることがあったり、また、後援会が会員としていた者の中には、会員が紹介者となり、入会申込書に新たに会員となる者の住所氏名を記載した場合に、直ちに会員とみなされてタックシールに住所氏名が記載された者もあり、後援会では、入会の意思を有していないことが判明した者については、タックシールから削除することにはなっていたものの、必ずしも厳格には実行されず、会員とされタックシールが作成された者の中には真に入会の意思を有していなかった者も多数含まれていた。また、後援会の会則では会費の徴収が定められていたが、会員から会費が徴収されたことはなかった。このような後援会会員の拡大の結果、会員とされタックシールが作成された者の数は、平成六年一〇月には和歌山市内で約三万四〇〇〇人、和歌山市外で約六万名となり、約一年後の平成七年九月以降には、和歌山市で約四万二〇〇〇名、和歌山市外で約一九万一五〇〇名の合計約二三万三五〇〇名に及び、平成七年一一月五日の県知事選挙当日の和歌山県の全有権者数(約八四万七九五二人)の約27.5パーセントに及ぶものであった。

地区担がタックシールに記載された会員宅を訪問して手渡したり、ポストに入れておいたりした封筒には、後援会入会申込書、近況報告、機関誌等が入っており、出版記念大会が開催される場合にはその案内文や入場整理券も入っており、平成七年八月に以前被告と暴力団組長と同席した場面を撮影したビデオの存在が明るみになった後には、被告及び藤本、竹内、橋本、中村らが出席した役員会において協議の上、「緊急報告」と題する被告の釈明等を記載した書面をも入れたりした。そして、後援会入会申込書は、被告のプロフィールや被告の県政に対する政策やキャッチフレーズが記載された書面を一体としたものであり、近況報告書中には、被告が県知事選挙への立候補を決意した経緯、心情、県政に対する意欲、県知事選挙での被告への支援の訴えが記載され、機関誌には、被告のプロフィールや和歌山市長としての実績のほか、当時の県政に対する批判や県政に対する政策が記載されていた。出版記念大会の案内文には、当時の県政に対する批判、県知事選挙での被告への支援の訴えが記載され、「緊急報告」と題する書面では、前記ビデオ疑惑に対する釈明と共に対立候補への批判や県知事選挙での被告への支援を訴える内容が記載されていた。

4  後援会の各事務所では、毎朝地区担等が出席して、朝礼がおこなわれ、また、月に一回、本部事務所に各地の全地区担が集まり被告や竹内、橋本、中村らの幹部が出席して、合同朝礼が行われていたが、そこでは、出席者らが「選挙運動に戦略なし、ただただ歩き続けること」「私達はタビタ県政を誕生させ、夢と活力の溢れる新しい和歌山を作りたいと決意した」「この戦いは必ず勝つ、必ず勝つ、必ず勝つ」「一軒一票、歩け歩け三〇万軒、目標三〇万票」(平成七年七月の参議院議員通常選挙後は、「四〇万軒、目標四〇万票」と変更された。)などを内容とする「事務所二〇訓」と称するものを唱和した後、「知事選必勝を目指して、頑張ろう、頑張ろう、頑張ろう」と三唱し、また、特に合同朝礼においては、竹内、橋本、中村らの幹部が各地区の有権者の反応や地区担活動の状況について報告を求めたり、対立候補者の動向にも注意するように指示したり、被告ともども、もっと地区担活動を活発にして会員を増やすようになどと叱咤激励することもあった。

5  被告は、前記の近況報告及び緊急報告と題する書面を執筆したほか、竹内、橋本、中村らから地区担活動の状況について逐次報告を受け、後援会事務所の設置やブロック責任者の選任等の具体的な事項についても竹内と相談するなど自ら関与し、役員会にも半数近くは出席し、選挙ポスターの配色等について自己の意向を押し通し、役員会を欠席した場合にも竹内らから報告を受けていた。また、被告は、本部事務所で毎日行われている朝礼に一週間に一度程度は出席し、合同朝礼には原則としてすべて出席し、平成六年一〇月頃と平成七年四月頃の二回にわたって全地区担を集めて開催された研修会にも出席し、出席者に選挙情勢について説明したり、地区担活動をさらに活発化するように激励したりした。

藤本は、後援会の会長代行及び会長として、後援会を代表し、前記県知事選挙の選挙運動方針を決定する役員会を始め、主要な議題を協議する役員会に出席し、出版記念大会や研修会或いは対外的な会合に出席して、後援会を代表して挨拶し、県知事選挙における被告への支援を訴えた。

竹内は、後援会の幹事長として、前記県知事選挙の選挙運動方針を決定する役員会を始め、主要な議題を協議する役員会に出席し、被告と連絡を取りながら、県下各地の後援会事務所の設置や臨時職員の採用等に主導的な役割を果たし、朝礼や研修会等で主として全体的な見地から参加者に指示を行うことによって地区担活動に対する指揮、監督を行ない、票読み資料としてのカードの配付、回収を各地区担に指示するなど、選挙運動全般について主導的役割を果たした。

橋本は、後援会の会計責任者兼組織対策部長として、前記県知事選挙の選挙運動方針を決定する役員会を始め、主要な議題を協議する役員会に出席し、被告と連絡を取りながら、中村と共に幹事長である竹内を補佐し、県下各地の後援会事務所の設置や臨時職員の採用等を中心となって実行し、和歌山市周辺の一市六町のブロック責任者として同地域における地区担活動を指揮、監督し、朝礼や研修会等で地区担活動に対する具体的な指示を与え、票読み資料としてのカードの配付、回収を各地区担に指示するなど、資金面を始めとして選挙運動全般についてこれを推進した。

中村は、後援会の事務局長として、前記県知事選挙の選挙運動方針を決定する役員会を始め、主要な議題を協議する役員会に出席し、被告と連絡を取りながら、橋本と共に幹事長である竹内を補佐し、県下各地の後援会事務所の設置や臨時職員の採用等を中心となって実行し、和歌山市内及び同市周辺のブロック責任者として同地域の地区担活動を指揮監督し、朝礼や研修会等で地区担に対し主として事務的な指示を与え、票読み資料としてのカードの配付、回収を各地区担に指示するなど、選挙運動全般について、主として事務的な面からこれを支え、推進した。

二  争点1(後援会は、組織による選挙運動を行ったか。)について

1  以上認定の事実によれば、後援会の地区担活動は、県知事選挙の一年以上前から行われていたものであるが、被告が市長選挙と県知事選挙への立候補を表明したことから、従前被告を支援していた団体等の組織の支援が見込めなくなり、被告及び後援会の幹部としては、県知事選挙に当選するための選挙戦術として、後援会の地区担活動を利用して、県下各地に支援者を増やすことを方針とせざるを得ない状況となっており、右のような状況は被告及び後援会幹部である藤本、竹内、橋本、中村の共通の認識であったと認めることができるのである。役員会は、この方針を協議決定し、これに基づいて、県下各地に事務所を設置し、多数の臨時職員を雇用して地区担活動を行ったものと認めることができるのである。そして、右地区担活動は、後援会活動の名の下に行われていたものの、その対象とされた者が必ずしも自ら後援会に入会した者ばかりではなく、会員としてタックシールに記載されていた者の人数が県知事選挙当日の和歌山県の全有権者数の約27.5パーセントに上っていたというのである。地区担が配布した文書の内容は、もっぱら県知事選挙に立候補を予定している被告を紹介すると共に、その県政に対する政策を明らかにし、県知事選挙での被告への支援を訴えるものであったというのである。被告及び藤本、竹内、橋本、中村らの後援会の幹部はもとより、地区担自身も、右地区担活動を県知事選挙の選挙運動であることを意識していたことが認められるのである。したがって、このような地区担活動は、一般的な後援会活動の範囲を超え、一般有権者に県知事選挙での被告への投票を依頼する選挙運動としての実質を有していたものといわざるを得ないのである。

2  被告は、被告を「当選させる目的」を有していた後援会組織の統括者が誰であるのか不明確であり、地区担活動が組織による選挙運動であるとはいえない旨主張する。しかし、前記認定事実によれば、後援会は、重要事項を役員会によって決定していたところ、藤本、竹内、橋本、中村は、後援会の幹部として、県知事選挙に臨む基本的な選挙運動方針を決定する役員会に参加し、その決定に沿って竹内、橋本、中村が中心となって県下各地の事務所の設置、地区担の採用、地区担活動の指揮、監督を行っていたことを認めることができるのであり、これらの者が後援会という集合体を総括する者として、被告に県知事選挙に当選させる目的を有していたと認めることができるから、被告の右主張は理由がない。

被告は、後援会の目的は被告の政治活動の支援であり、地区担活動としての文書の配付は具体的な選挙を意識して行ったものではなく、後援会入会申込書も入会勧誘にすぎず、配布先も後援会会員宅に限定されていたから、選挙運動を行ったものではないと主張する。しかし、前記認定事実によれば、地区担活動の対象が後援会の会員宅に限定されていたということができず、配布された機関誌、近況報告と題する書面、後援会入会申込書の内容がいずれも県知事選挙での被告への支援を訴えるものであることから、右主張も理由がない。

三  争点2(被告と後援会との間で、組織による選挙運動を行うことについて意思を通じていたか。)について

1 候補者等と組織との間で「意思を通じ」るとは、候補者等と組織の「総括者」との間で、選挙運動が組織により行われることについて、相互に認識し、了解し合うことを意味するところ、右総括者とは、選挙運動を行う組織において、その選挙運動全体の具体的、実質的な意思決定を行いうる者をいうと解される。

そして、前記認定事実によれば、被告は、後援会組織の地区担活動を通じて行う県知事選挙の選挙運動について、役員会におけるその基本方針の決定を主導し、その後も竹内らから報告を受けたり役員会に出席するなどして地区担活動の状況を十分に把握し、後援会の設置等具体的な事項についての決定にも関与し、県知事選挙において自己への支援を訴える内容の近況報告等の文書を執筆して、地区担に配布させたほか、自ら、朝礼や研修会に出席して地区担活動を活発化するよう激励するなどしており、県知事選挙について、後援会活動を利用した選挙運動をすることを主導する立場にあったものといえるのである。

一方、藤本、竹内、橋本、中村は、後援会の幹部として、被告の右選挙運動の基本方針に同調し、役員会においてこれを決定し、それ以降、藤本は、後援会会長として後援会を代表し、出版記念大会等の挨拶等を通じて県知事選挙における被告への支援を訴え、竹内、橋本、中村は、被告と連絡を取りつつ県下各後援会事務所の設置、地区担として稼働する臨時職員の採用、配置等、右役員会における決定の実行と地区担活動の指揮、監督に当たってきたことが認められるのである。したがって、藤本、竹内、橋本、中村は、いずれも、後援会組織を通じた県知事選挙の選挙運動において、役員会の協議決定を通じて、選挙運動全体の基本方針とその具体化策を決定した者として後援会組織の「総括者」であると認められる。

そして、右県知事選挙の基本的な選挙運動方針が協議決定された役員会が開催された後である平成六年八月頃までには、被告と藤本、竹内、橋本、中村との間に右選挙運動を後援会組織を通じて行うことについて相互に了解があったことも明らかに認められるから、被告と後援会との間の意思の連絡があったことは肯定されるというべきである。

2  被告は、被告自らについては三期目の市長選当選後は公務が多忙であり、市民の批判を避けるためにも、後援会活動に時間を割くことが困難であって役員会の状況を把握しておらず、後援会活動が選挙運動であるとの認識もなかった、また、藤本については後援会会長ではあったが形式的な存在であり、竹内については選挙運動を計画、立案したり、指揮、監督したりするような権限がなかった、橋本及び中村については一地区担であり、連絡係にすぎないと主張し、乙一ないし三(橋本、中村、藤本の各陳述書)、証人橋本博、中村智司、同藤本弘の各証言、被告本人の供述中にはこれに沿う部分があるが、前記のとおり、前記各証拠に照らして信用できない。

被告は、被告が後援会職員に選挙違反になるようなことはしないように注意を与えていることからも後援会活動が選挙運動ではないことを認識していたことを示すものであると主張するが、被告がそのような注意をしていたとしても具体的なものとはいえず、そのことのみでは被告が後援会の地区担活動を選挙運動としてとらえ、これを推進することについて藤本、竹内、橋本、中村らと意思の連絡があったとの前記認定判断を左右するものではない。

四  争点3(竹内、橋本は、「組織的運動管理者等」であるか。)について

1 法二五一条の三にいう「組織的選挙運動管理者等」は、①選挙運動の計画の立案もしくは調整を行う者、②選挙運動に従事する者の指揮もしくは監督を行う者、③その他選挙運動の管理を行う者をいうところ、右①は、選挙運動全体の計画の立案又は調整を行う者を始め、ビラ配り、ポスター貼りの計画、街頭演説の計画を立てる者や、その調整を行う者等で、いわば司令塔の役割を担う者、②は、ビラ配り、ポスター貼り、個人演説会の会場設営、電話作戦等に当たる者の指揮監督を行う者等で、いわば前線のリーダーの役割を担う者、③は、選挙運動の分野を問わず、右①②以外の方法により選挙運動の管理を行う者をいい、例えば、選挙運動従事者への弁当の手配、車の手配を取り仕切る、或いは個人演説会場の確保を取り仕切る等、選挙運動における後方支援活動の管理を行う者をそれぞれ意味すると解される。

2 前記認定事実によれば、竹内は、後援会の幹事長として、県知事選挙における選挙運動の基本方針を決定する役員会に出席して、その決定に関与し、右決定に沿って、県下各後援会事務所の設置、臨時職員の採用を主導的に実行し、地区担活動の指揮監督を行った者であり、また、橋本は、後援会の会計責任者兼組織対策部長として、県知事選挙における選挙運動の基本方針を決定する役員会に出席して、その決定に関与し、右決定に沿って、竹内を補佐して県下各後援会事務所の設置、臨時職員の採用を実行し、地区担活動の指揮監督を行った者であるから、いずれも選挙運動全体の計画の立案を行い、選挙運動に従事する者の指揮、監督を行った者ということができ、「組織的選挙運動管理者等」に該当するというべきである。

五  争点4(法二五一条の三の規定は、憲法一五条、三一条に違反して無効か。同規定を本件に適用するのは憲法一五条、三一条に違反するか。)について

1  被告は、法二五一条の三の規定は、「組織的選挙運動管理者等」の要件が不明確であり、また、候補者の被選挙権を不当に奪うものとして憲法一五条、三一条に違反すると主張する。

しかし、「組織的選挙運動管理者等」の要件については、前記説示のとおり解すべきであり、その内容が不明確であるということはできない。また、立候補の自由は、憲法一五条の保障する重要な基本的人権であることは当然であるが、民主主義の根幹をなす公職選挙の公明、適正はあくまでも厳粛に保持されなければならないものであり、法二五一条の三の規定は、このような極めて重要な法益を実現するために定められたものであって、その目的は合理的であり、選挙運動において一定の地位を有していた者が選挙犯罪を犯し、犯情の重い場合に限って、公職の候補者等であった者の立候補の自由を所定の選挙及び期間に限って制限することは、公職の候補者等が当該組織における選挙腐敗行為の発生を防止するための相当な注意を尽くしたとき等には連座制の適用が除外されることも考慮すれば、右の立法目的を達成するために必要かつ合理的なものというべきである。したがって、右規定は憲法一五条、三一条に違反するということはできない。

2  被告は、右規定を本件に適用することは、被告の責任範囲を超えたところで生じた選挙犯罪のために被告の被選挙権が奪われるという結果を生じるから、憲法一五条、三一条に違反すると主張する。

しかし、後援会の幹部である竹内、橋本が公職選挙法違反事件において禁錮以上の刑に処するとの有罪判決を受け、これが確定したことは前記のとおりであり、前記認定の後援会を通じて行われた本件選挙運動の経緯に照らせば、被告は右選挙運動に深く関与していたものであり、また、本件全証拠によるも、被告が後援会職員の選挙犯罪を防止するために具体的な手段を尽くしたことを認めることはできないのであって、被告の責任範囲を超えたところで生じた選挙犯罪のために被告の被選挙権が奪われるという事情を認めることはできないから、本件に右規定を適用することが憲法一五条、三一条に違反するものとすることはできない。

六  結論

以上によれば、法二一一条一項に基づく原告の本訴請求は、理由があるから認容することとし、訴訟費用の負担につき行訴法七条、民訴法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官福永政彦 裁判官井土正明 裁判官赤西芳文は、転補につき署名捺印することができない。裁判長裁判官福永政彦)

別紙別紙一覧表<省略>

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例